founder’s thoughts創業者の想い

お客様に喜んでいただける店、
愛され続ける店をつくる。
それだけを楽しみに
今までお店をやってきました。
そして、それは今後も
決して揺らぐことはありません。

日本一のラーメン屋になろう。
そう志し、二つの誓いを立てました。

大勝軒は、昭和30年3月、永福町駅前の現在地に開店しました。
私が26歳の時でした。
そこで、私は商売を始めるに当たり、次の2つのことを心に決めました。

一、禁酒・禁煙・禁車

酒は付き合いが多くなって店がおろそかになり、
体を壊す原因にもなります。

煙草は味覚を損ない不衛生でもあります。
車は事故を起こす危険があり、相手も自分も傷つける。
店を休業するはめにでもなったら、
お客様にも迷惑をかけてしまいます。

二、出入りの商人を大事にする。
そして、商人の一番の得意になる。

実家の草村商店(中華麺の製造・卸業)で
働いていたころの経験から、
独立したら出入りの商人を大切にしようと決心しました。
「その商人の一番の得意になる。」
これは大事なことです。

そうすることによって良い品物が入ると、
真っ先に届けてくれるようになり、
時にはとびきりの情報を
もたらしてくれることさえあります。

開店後10年間は赤字続き

開店当初からありがたいことにたくさんのお客様に恵まれました。
「おいしいラーメンを一所懸命作って、お客様に喜んでいただければ良い」そんな考えと執拗な材料へのこだわりがゆえに35円のラーメンを作るのに、なんと27円の原価をかけていたのです。
原価率8割近いラーメンを売っていたわけで、これならお客様が喜ばないはずはありません。
それでも、たくさんのお客様がついているのだから、いつか何とかなると値段据え置きのまま頑張ることにしました。
最初の10年間は赤字続きで金銭的には相当苦しみました。
長男が生まれるときの出産費用1万円を捻出するのにも苦労するほどでした。
そのころ、出前を続けていくかどうか悩んでいました。当時、出前は売上げの5割を占めていましたが、問題が3つありました。

1つは人件費がかさむこと、もう1つは器の破損が多いこと、
それ以上に頭を悩ませたのは、味が落ちるという問題です。

一流の味を目指していたので、これは耐えがたいことでした。
店の信用にも関わる問題で、長期的にみれば、出前を続けるのは得策ではない。
かと言って、出前をやめれば売り上げが半減する。「やめるべきか、やめざるべきか」1カ月余り悶々とした末に、出前をやめることを決意しました。

売上げ半減を覚悟していましたが、幸い、さほど落ち込むこともありませんでした。

何より嬉しかったのは、出前しかとらなかったお客様が食べに来てくれるようになったことです。
そのことによって私は、初めて自分のラーメンの味に自信を持つことが出来ました。
値上げに踏み切ったのは開店して11年後、昭和41年のことで、35円から倍の70円に値上げしました。
材料には充分すぎるほど費用をかけているのだから、それ相応の代金をもらってもいいんじゃないか、適正な利益を得てこそ、お客様に満足していただけるものが作れる、と考えるようになったのです。
「適正な利益」を得ることで、金銭的にも精神的にも余裕ができたので、以前にも増して熱心に味の研究に取り組み、このころから飛躍的に味を進化させていきました。

「味がいい」だけでは、人は何十年も通い続けてくれるものではありません。
お客様が期待している以上の心づかいやサービスがあるからこそ通い続けていただけたのだと思います。

数々のエピソードを生んだ氷の無料サービス

当店が冷たい氷水を出すようになったのは、昭和37年のことでした。
当時はクーラーも今ほど普及していなかったので、夏場になると、ラーメンを食べるお客様が減り、どのラーメン屋でも売り上げが落ち込んでいました。
そこで、氷水を出せば、夏の暑い日にもお客様にストレスなくラーメンを食べていただけるはずと考え、思い切って当時のお金で35万円もする製氷機を購入しました。
当時はまだ冷蔵庫も氷で冷やす時代で、どこの店でも生ぬるいお冷しか出していなかったので、この作戦が見事に当たりました。

製氷機を入れてしばらく経ったころのことです。
若いお母さんが青い顔をして店に駆け込んでくるではありませんか。
「子どもが熱を出して苦しんでいるので、氷を分けてもらえないか」と言うのです。
夜間のことでしたので氷屋がしまっているとのことでした。
大勝軒が氷の無料サービスを始めたのはこれがきっかけです。
ときには急病患者の手当てに役立てることもできました。
このようなさまざまなエピソードを残した氷の無料サービスでしたが、コンビニなどで氷を売るようになり、その役目を終えました。

お客様から「味変え」のヒント

創業後にお客様から教えられた「味変え」の大切さ。
お客様から学ぶという姿勢は、創業以来変わらず頑固に守っています。

例えばトッピングで提供している生卵について、それまではラーメンの上に乗せていました。
しかしお客様が言うには「ラーメンにそのまま生卵を入れるとせっかくの熱々のスープがぬるくなるし、コクのある味わいが薄まってしまう」ということでした。
お恥ずかしいことですが、まったく気付いていませんでした。
そこで、生卵を別添えの器に入れてお出しし、お客様ご自身が溶いた卵に麺を付けて食べていただくようにしました。
これが大変美味しいと、お客様に大好評。
一つのラーメンでいろいろな食べ方が楽しめると生卵を追加注文するお客様が増えました。
まさに、お客様から教えられた「味変え」でした。
この時、改めて思ったのは、ラーメン作りに何十年も携わってきたが、まだまだ学ばなければならないことはたくさんあるということでした。
これまでを振り返って思うこと。それは「永福町大勝軒」はお客様に教えられ、共に成長してきた「味変え」の歴史だったのではないかということでした。

お客様に
満足していただくために

私の生活は常に大勝軒のラーメンとともにありました。
開店以来ラーメン一筋飽くなき追求を続けてまいりました。
時には素材を求めて全国行脚に出ることもありました。

私の最高の楽しみはお客さまに喜んでいただける店、
愛され続ける店をつくることです。
ですからラーメンの味はもちろんのこと
従業員の教育にまで全力を注いでおります。
たとえ1杯の水も出し方が違うと
お客様の気分はぜんぜん違ってきます。
従業員の立ち居振る舞いもしかりです。
これからもお客様に愛され続けるためなら
惜しみない努力を続けていきます。

こだわりの味作り 煮干スープと秘伝タレ

昭和30年3月の開店以来、中華麺(ラーメン)一筋60余年間にわたって行列が絶えないほどのごひいきいただいております。その秘密は、当店自慢の煮干スープと、他店の優に2倍はある大盛り麺にあります。お客様が長年にわたって通い続けてくださるのは、「いつ行っても感動的な味」に出合えるからで、現状の味に妥協せず「常にお客様の一歩先を行く」味作りを追求し、改良を重ねてきた成果であると自負しております。

永福町大勝軒のこだわり